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「やらない後悔よりする後悔」

小林クリニック
小林 雅子 先生

 私は、昭和56年に東邦大学を卒業して医師免許を取得しました。
幼い頃から、親戚に同業が多かった為、休みには叔母の嫁ぎ先の医院の診療の様子や家族の暮らし方、などみて育ちました。小児科の叔父の家では、夜間の救急で来られる患者さんの様子や、叔母が院内の薬局の仕事をしているところを眼をこすりながらみていた覚えがあります。整形外科の親戚では手術の準備や、看護師さん達の楽しい会話や、職員を気遣う伯母の姿もみていました。実家は、と言えば、父がプロの野球選手で松竹ロビンス(今の横浜ベイスターズや大洋ホエールズの前身)という球団でキャッチャーをしていた関係で、その後転職して築地で仲卸の会社に勤めた人でしたので、私自身は、全く違った環境の中で育ちました。のんきな楽しい家庭でした。
 なぜ、この仕事を選んだかという問いはいろいろなところで聞かれる事ですが、今思うと、みんなの仲間になりたかったのだと思います。その頃の開業医も忙しかったようですが、何か自分の生き方に対する哲学や、学者としての誇りのようなものがあり、人としての奥深さが感じられ、とても魅力的にみえたのかもしれません。
 私の育った頃も、女性は結婚して、家庭に入るという事が普通だったように思います。
 私自身も、幼稚園の頃はお嫁さんを夢見ておりました。成人しても、家を出るという事は、結婚する事と思っていました。仕事を辞める、仕事を休むという事は考えた事はありませんでしたが、結婚して夫を支えたり、家庭を守ったりする事は、女性の務めと思っていました。今考えると、中途半端な、欲張りな考え方だったと思います。
 卒業した年に、大学の同じクラブで知り合った一年先輩の人と結婚しました。
 神経内科を専攻し、特に筋肉の病気を研究する研究班に参加しました。私は、人と関わるのが好きだったので、研究というよりは、診療に熱心だったと思っています。
 私の入った医局は、総合的に内科をみられないと神経内科は出来ないと先輩方に教えられ、循環器内科、消化器内科、膠原病内科等少しだけ学ばせていただきました。
 子供も結婚2年目に産前ほぼ0、産後8週間の産休で出産し、2人目も3年後に出産し、博士号を取得して、当直のない保険組合の診療所に勤めることにしました。
 卒業から11年目だったと思います。その後5年ほど、健康診断、健康指導を勉強して、主人と共に開業しました。さすがに子供を学校と知り合いと私の両親に頼って育てる事が難しくなっていましたので、家で仕事をして、子供が帰ってきたら顔があわせられる状態にしたいと思いました。また、開業するのであれば在宅往診をしたいと考えていました。
 神経内科は、診断はついても治療法がない難病が多く、動けなくなった患者さんは病院には来られません。そしてご家族が大変な時に、主治医の私は何も出来ないという残念な思いを数多くしていたからです。患者さんを自宅に診に行きたいとの思いでした。
 開業後は子供の食事も作れないくらいの忙しい毎日で、特に子供には、かなりの負担をかけたと思います。全てをかなえる事はなかなか出来ない事であり、私のように、自分勝手に周りを巻き込む事になります。当時からこの事に気づいていたら、仕事は出来なかっただろうと思います。でもやらない後悔よりする後悔と思っています。
 家族には言葉では言えないほど感謝しています。
 在宅往診は開業前に足立区の在宅をされている先生と、下町のアカヒゲと言われていた私の友人のお父様に研修しました。
 また、開業してからも、緩和ケアの草分けであった東京の川越先生の勉強会にも出席しました。何もかもが、楽しく、うれしいときでした。先輩方はご自分の考え、診療の仕方を惜しむ事なく教えてくださいました。しかし、私が、それをしっかり学んだかどうかは別の話ですが。
 在宅診療は少しずつ増やしていきましたが、基本は外来診療であり、自分の診ている患者さんを最後まで自分が診たいという思いでした。
 当たり前の事ですが、在宅の診療は、全ての事を自分で責任を持たなければならず、孤独を感じる事が多い日々でした。胆嚢癌の末期の方の痛みを、どうして良いか途方に暮れ、祈りながら夜中に往診にゆく事もありました。ALSの方の呼吸苦をどうやってソフトランディングさせて行くか、悩む日々が続く事もありました。この時に、本当に支えられたのが、共に24時間対応してくれた訪問看護ステーションの方たちと、医師会の在宅仲間でした。仲間は大切です。
 横浜市の在宅仲間は、今、医師会員の集まりである「在宅医ネットよこはま」という旭区の岡田先生の主催する、在宅仲間に広がっています。集まると、お互い子供のように熱い議論と大切な提案をしあっています。
 こんな生活をして行くうちに、夫に尽くしたい、というお嫁さんとしての私の考えは立ちゆかなくなり、夫である院長には、私が思っている以上にストレスをかけたと思います。かなりの契約違反でしたから。そんな私を見捨てずにいてくれた、たった一人の人に、感謝しています。
 このように、感情に振り回される私でしたので、患者さんと特にターミナルの方に対応して行くため、対人援助論を京都で教えておられる、村田久行先生の勉強会に出席しました。現象学など哲学を基礎にした、奥の深い手法の傾聴でした。
 この勉強会は、患者さんの援助に役立つ手法として、また、自分の生き方、死に方を考えさせられる大きな機会として大切な学びとなりました。今も続けています。
 先日開業20周年の記念会をしました。うれしいひとときでした。クリニックのように小さい職場では人間関係も濃厚ですし、経営する私たちの思いが直接スタッフに行き易いと同時に迷惑もかけ易い環境です。システムとしてしっかりしていない事が不安な職員は、なかなか長くお勤めして頂けません。それを考えると、この20年があるのは続けてくれた職員の忍耐と努力のおかげと思います。小さなクリニックですが、今後、外来と在宅を両立するシステムを、スタッフ強化をしつつ考えてゆかなくては、と思っています。
 今の、医療環境は感謝ばかりでは済まない世の中になっているのは周知の事実です。
 医師が経営の事にばかり熱心になるのは良くないと、もう引退した叔父たちからよく言われておりましたが、今では国の政策まで知りながら続けて行かねばならないと感じます。それが知りたくてというわけではないのですが、夫が引っ込み思案であった為に、医師会の行事は私が参加、在宅診療を行っているので、訪問看護ステーションと関わり、こんな年になるまで、医師会の仕事のお手伝いをしてきました。医師会という所は私が体験した事のない紳士の集まりでして、女性という立場からすると、どんな形で仲良くしたら良いか解らないところがありました。女性がまだまだ少ない医師会ですから、皆さん、きっと迷われているのではと思います。答えは私にもありませんが、どこかでお会いしたら、お話ししたい内容です。
 今私が考えている事は『これからの開業医』という事です。
 国の包括ケアシステムの考え方から言うと、共助、公助、自助をもとにして私たち開業医は地域の事も理解し、多職種の方たちや、地域自治体の方たちとも関わって行かなければならないようです。私たちにいったい何が出来るのか、何処までやるのか、医師としての役割はどう変わり、これをどう守らなくてはいけないのか、これからの医師会の役割は重大だと感じています。
 医学知識の面でも総合診療学、家庭医療学など、私たちの時代では学ばなかった学問や臨床が、ネット、雑誌、医学書、講演等で行われており、私たちも self- taught family doctor として独学で診療しているわけですが、これからの先生は開業医としての専門性を問われる事になるようです。
 おもしろいと言えばそうですし、楽しみと言えば楽しみです。
 私たちは自分のスタイルで今の仕事を続けていくしかないと思っていますが、変わりゆく医療環境をじっと見据えて、対応してゆく余裕も欲しいと思っています。

 

また明日から診療を続けます。