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「昔話」

石丸医院(金沢区)
院長 石丸 百合子先生

 
 今回、原稿依頼の際「母子で女医だから…」との事でしたので、これを契機に『母(石丸照子)の歴史をきいておこう』と思い依頼を受けました。母は大正15年生まれ。昭和18年に大阪女子高等医学専門学校(現在の関西医科大学)に入学しました。「父親が医師で母親に勧められたから。」が志望動機だったとのことだが、当時、母の兄が医学部学生になっていて後継でもなく、戦前の女子教育を考えると適性があったのだろうと思う。在学中途中で終戦を迎え四年制から五年制に変わり、入学時は卒業イコール医師資格だったのだが、卒業時は国試が始まった(しかも口頭試問まで!)。(父は第2回、母は第4回の国試受験をしている)過去問も無くどのように勉強したのだろうかと思う。
 卒業後1年間インターンを経験しているが、そのインターンの時に上肢の切断か考慮した蜂窩織炎の患者がいて
「米軍にペニシリンを貰おう!」となり(交渉は英語の出来る同僚だったが)、著効した様子を何度か聞いてる。
現在であれば倫理委員会が必要であろうが、その当時だから許されることだろう。インターン後、倉敷中央病院に勤務時に父と出会い結婚。父の仕事の関係で東京に転居し保健所に勤務したが、半年後に父の転勤のため保健所を退職した。今であればそんな簡単に辞めたら非難されるであろうが、当時の妻はついていくのが当たり前だったようだ。

 昭和33年現在の金沢区に転居の際、父が不動産屋に「ここは医者が少なくて」と言われ「妻は医師だから開業させます」といって母の開業が決まった。約五年間専業主婦をしていたのに、そんなに簡単に夫の言葉で開業を決定してしまうのはどうかと思うが、その当時は、家を買った為、父は共働きをさせたかったのであろうかと思う。今であれば再度どこかで研修でもしないと困難だと思うが、自宅で開業した。開業後しばらくして、金沢区医師会長さんがいらして、「医師会に入会しませんか」と言われて医師会の事に気づいたそうだ(その会長のお孫さんが今の金沢区医師会の副会長であるのは余談だが)。
 開業してから母は、妻・嫁・母・女医の4足のわらじをはいて約50年働いていた。母の開業してからのいくつかの印象に残る患者さんの中で、在宅で看取ったALS患者さんを話してくれた。入院から自宅療養になり往診に通ったそうだ。人工呼吸器を装着しない事を選択された為、往診をしても特に何かすることが無かったが、本人・家族の話を聴くことで不安を少なく出来たのではないかと言っている。 私は、4足では無く1足のわらじ状態(そんな表現は正しくないが・・・)であるが、今後働く女医が十分働くことが出来る環境が整って欲しいとおもっている。