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女医、走る走る。

 越智 友子(小児科)

 私が地方の国立大学に入学したのは1980年代のことです。はたち過ぎてから方向転換して医学を学ぼうと決め、また学生時代を地方で過ごしたいと思い、大学を選びました。
 卒後は関東へ戻り、ひょんなことで誘っていただいた国立大学病院小児科に入局。同期研修医のうち大学出身者が半分、私を含めた残り半分は地方の国立大出身。男女比も半々でした。関連病院出向の2年目は多忙な都内の総合病院を希望し、新生児から10代まで、一般小児科の急性疾患をたくさん経験しました。翌年、所属した医局の神経班から県立こども医療センターを勧められ、計3年勤務。神経疾患患児の重症気道感染や痙攣重積等のICU対応が多く病院に泊まり込む日々で、徐々に脳波等の専門検査や専門外来も担当し、急性脳症の患児の在宅移行など地域連携も経験しました。医者になって5年間はこのように夜昼なく病院で過ごし、特に女医と意識する場面もなかったように思います。
 6年目直前に関西出身の理系の研究者と知り合い結婚しましたが、仕事を続けることにお互い疑問は持ちませんでした。私は国立小児病院(現:成育医療センター)神経科へ転勤。元々のベテラン正副医長のほか私を含め3名の下っ端が同時に着任しました。偶然3人とも新婚で相次いでこどもができましたが、私の場合は暴れる患児にお腹を蹴られた後に流産しつらい思いをしました。しかし幸いその後、都立病院神経小児科勤務の間に2人の娘に恵まれました。長女出産の際は大学院在学中の後輩に代診を頼み、産前産後8週プラス2週間の育休中に私自身は小児科専門医を取得。当直を含め妊娠前とほぼ変わらず勤務し、安産で元気な赤ん坊でした。元々こどもが好きで小児科を選んだぐらいですから、初めての子育てはただただ楽しく、職場の保育室に預けるために小さな衣類に名前をつけながら娘を手放すような気がして涙がこぼれましたがそれは杞憂で、保育室での娘の生き生きとした様子に目の前が明るく開ける思いでした。最初の当直の日こそ、夫にはカレーを娘には冷凍母乳を用意しましたが、その後夫は自然に家事の守備範囲を広げていってくれました。祖父母は遠方であり、平日は夕方ベビーシッターさんも手配。昼休みには保育室へ授乳に走り、忙しいながらもメリハリの効いた生活で、ありがたいことに長女はたまに風邪を引く程度で、その笑顔は仕事の励みになりました。次女出産の際はどうしても代診が見つからず、出産直前まで働いて退職。その後「憧れの専業主婦生活」を1年間経験しましたが、こども好きで家事も嫌いではない私でも閉塞感があり、なかなか大変でした。次女の育休中には小児神経専門医を取得。翌年夫の転勤で三世代同居の嫁として関西に移りましたが、程なく義母の末期癌が判明し、在宅酸素療法や中心静脈栄養も導入し自宅で看取りました。これは家族としても医者としても貴重な経験だったと思います。その後、夫を関西に残し幼児2人を連れて関東に戻り、障がい者施設付属診療所、次いで医局の先輩のクリニックにフルタイム勤務。いずれも責任者としての勤務で、娘たちの行事は軒並み欠席。PTAの役目を果たすのにも苦労しました。学童保育も利用しましたが、長期休みは結局姉妹で自宅で過ごす時間が長かったです。しかし何と言っても我が家の最大のピンチは、夫が単身赴任7年目にしてくも膜下出血で倒れたことです。これを契機に夫は単身赴任を切り上げ、私たちに合流しました。
 夫は幸い特に後遺症なく回復し娘たちも中学生になり、現在が今までで一番落ち着いた生活ですが、娘たちには思春期の微妙な心持ちや悩みも出てきて、体調管理さえしておけば、という時期ではなくなりました。さらに、そろそろ親世代の介護の問題が出てきています。
 小児科医なので娘たちの健康管理が自宅でできたこと、娘たちが丈夫であったこと。夫婦で協力できたこと、職住接近で保育園や学童も確保できたこと。また、困った時はいつも誰かが何らかの形で支えてくれました。綱渡りの年月ではありましたが、家族を持ち小児科医として働き続けることもできて、ありがたく思っています。夫は少しずつ家事の腕を上げ、今では衣食住のほか娘たちの学校のことも全て、もしかすると私以上にこなしてくれます。実は「家事育児は本来は女性の仕事」という意識が私自身の心の奥底にあり、嫌いではないし自分でできるだけやりたいのが厄介なことですが、医者になって走り続け20年以上、結婚後15年以上たちようやく、自分の容量を把握し夫と家庭内のことをシェアできつつある気がします。
 男性でも女性でも様々な事情でフル稼働はできない時期もあります。例えば当直ができない分、何ができるか。2年前に地元の総合病院(ちなみに病児保育も完備!)に転勤し独身時代のようには働けない身で、自分の役割は何かを私も今模索しています。医局制度がくずれて効率よく非常勤で働くことも可能な状況ですが、一部の医師の情熱に依存していては医療現場はいつかは破綻します。ほかの職業にも増してお互いを気遣い協力し合って行くことが必要ですね。今後さらに社会の様々な仕組みが整い、娘たちの世代は男女とも私生活も楽しみ仕事をするのが当たり前の社会になってほしいと願っています。